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ぶしをえびすということのこう
武士を夷ということの考
喜田 貞吉
「歴史地理 第二六巻第四号、第六号」1915(大正4)年10月、12月、「歴史地理 第二七巻第一号」1916(大正5)年1月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 17,305 字 · 34 页
三 東夷および夷の称呼(つづき)
、第3水準1-84-87)紳よりして、また蝦夷として認められたりしものならざるべからず。
三 東夷および夷の称呼(つづき)
前節に『徒然草』その他の数書を引きて、中世に武士を夷と言い、特に東国武士を東夷と言える実例数項を掲げたりしが、今さらにその稿をつぎて、遺れるを補うべし。
『夫木抄』読人知らずの歌に、
武士の八十宇治川の夷島落ちくる水のたけくもある哉
これは宇治川にある夷島のことを詠めるものなれども、武士と夷とその勇猛なることを取り合せたること、言うまでもなし。しかしてこれ、必ずしも東夷の謂にあらずして、一般武士を言えるものなりとす。
『増鏡』つげの小櫛の条に、
御子は十月三日御元服し給ひて、久明の親王と聞こゆめり。同じき十日の日、院よりやがて六波羅の北の方、さきざきも宮の渡り給ひし所へおはして、それよりぞ東に赴かせ給ふ。同じ二十五日鎌倉へ着かせ給ふにも、御関迎へとてゆゆしき武士ども打ち連れて参る。宮は菊のとれんじの御輿に御簾あげて、御覧じならはぬ夷どもの打ち囲み奉れる、頼もしく見給ふ。
これは警固の勇士を夷といえるなり。
同書、春の別れの条に、
宣房の中納言御使にて東に下る。