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ぶしをえびすということのこう
武士を夷ということの考
喜田 貞吉
「歴史地理 第二六巻第四号、第六号」1915(大正4)年10月、12月、「歴史地理 第二七巻第一号」1916(大正5)年1月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 17,305 字 · 34 页
ものとして、聖武天皇の御信頼を得し勇士なりき。古え佐伯部の兵士の禁闕を護るや、彼らは久米部の兵士とともに左右の宮門を分担するの制なりき。久米部はもとこれを西国人に資る。されば、かりに佐伯部をもって東人に当てんには、久米部は西人もしくは筑紫人とも称すべきものなりき。しかして久米部・佐伯部左右に相対し、誠忠と武勇とをもって称せられたりしなり。しかるに奈良朝のころに至りては、この筑紫人もいつしか懦弱に流れ、もはや兵士として用をなさず、九州海岸の防衛すら、遠く東人を派してこれに当らしむるほどとなれり。しかもその往還すこぶる煩多きがゆえに、一時これを廃して筑紫人を用いしが、辺防たちまちにして荒廃せり。天平神護二年の大宰府の「上言」に、
賊を防ぎ辺を戍るはもと東国の軍を資る、衆を持し威を宣するはただ筑紫の兵にあらず。
とあるは、その状を示して余りありというべきものなり。奈良朝においてすでにしかり、平安朝以後において、勇悍にして武を練磨し、その主すなわち「頼うだ」人のためには命を鴻毛の軽きに比し、忠実に奮闘してひたすらその名を惜しむというがごときいわゆる武士道は、ひとりこの東人の間においてのみ望むべかりしなり。