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ぶしをえびすということのこう
武士を夷ということの考
喜田 貞吉
「歴史地理 第二六巻第四号、第六号」1915(大正4)年10月、12月、「歴史地理 第二七巻第一号」1916(大正5)年1月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 17,305 字 · 34 页
八 結論
もの少からず存し、しかして当時においては、もはや彼らを夷族としては認めざりしものにてもあるべし。ことにその家人・郎等など比較的下級に属するものの中には、ことにこの族多かりしものと察せらる。徳川時代に至るまでも、鬚奴の称ありて、武家の従者はなお余五将軍の郎等、太郎介と同じく、鬚多きをもって可しとせしなり。けだし夷すなわち毛人を理想とせるものなるべし。武士と夷とその相関係するところ、由来多しといわざるべからず。
八 結論
以上論述したるところ、ほぼ武士と夷との関係をつくしたりと信ず。蝦夷は実に古えにおいて佐伯部もしくは夷俘・俘囚の名のもとに、すでに兵士として用いられ、また貴紳の従僕として役せられ、事実上、武士すなわち「サムライ」たるもの少からざりき。しかして彼らは勇悍にして、かつ忠実なるものとして重んぜられたりしなり。その間また東人なるものあり。直接、間接に蝦夷の影響を受けたるのものにて、同じく兵士として用いられ、貴紳の従僕として役せられき。彼らまた事実上、武士すなわち「サムライ」たるもの少からざりしなり。官兵※(「兀のにょうの形+王」、第3水準1-47-62)弱に流れ、他地方の民また怯懦たるに当りては、この夷俘・俘囚と東人とのみ、ことに武人として信頼せられき。