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ひのとり

火の鳥

太宰 治

「愛と美について」竹村書房、1939(昭和14)年5月20日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 37,740 字 · 76 页

青空文庫

このまま溶けてしまいたいほど、くたくたに疲れ、また提燈持って石の段々をひとつ、ひとつ、のぼって部屋へかえるのだ。宿は、かなり大きかった。まっ暗い長い廊下に十いくつもの部屋がならび、ところどころの部屋の障子が、ぼっと明るく、その部屋部屋にだけは、客のいることが、わかるのだ。一ばんめの部屋は暗く、二ばんめの部屋も暗く、三ばんめの部屋は明るく、障子がすっとあいて、

「さっちゃん。」

「どなた?」おどろく力も失っていた。

「ああ、やっぱりそうだ。僕だよ。三木、朝太郎。」

「歴史的。」

「そうさ。よく覚えているね。ま、はいりたまえ。」三木朝太郎は三十一歳、髪の毛は薄くなっているけれども、派手な仕事をしていた。劇作家である。多少、名前も知られていた。

「おどろきだね。」

「歴史的?」

三木朝太郎は苦笑した。歴史的と言うのがかれの酔っぱらったときの口癖であって、銀座のバアの女たちには、歴史的さんと呼ばれていた。

「まさに、歴史的だ。まあ、坐りたまえ。ビイルでも呑むか。ちょっと寒いが、君、湯あがりに一杯、ま、いいだろう。」

歴史的さんの部屋には、原稿用紙が一ぱい散らばって、ビイル瓶が五、六本、テエブルのわきに並んでいた。