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しほんたいへいき
私本太平記
吉川 英治
03 みなかみ帖
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 126,598 字 · 254 页
ついに、力つきて、
「む、むねん!」
仰向けざまに仆れた俊基の胸の上に、息あらあら誇っている虎ヒゲ面を近々と、彼も見た。――一瞬、彼は眼をふさいだ。――静かに死へ委せうる自身となるのを待つような――つかの間だった。
「獄吏、手をゆるめい。ゆるめろ、寸時」
「ば、ばかな」
「いや、逃げはせぬ。……ここははや、承明門のそば。お上のお座所にも間近だ。おそれおおい。頼む。しずかにしてくれい」
「なに、もう逃げぬというか。よしっ。それがまことなら」
鬼六は勝ちを誇った。俊基の装束の石帯をつかんで引き起すやいな、またすばやく、その利腕をねじ上げて、
「こう来いっ」
ずずずッ――と地を引きずるばかりにして、百歩ほど駈け出した。
だが、これは鬼六が、みかどのお座所ぢかくなることを畏れ憚ッての業などではない。余りに御苑の深くまで来てしまったため、部下の影はどこにも見当らなくなっていた。そこで「――おういッ」と、四方へ大きく呼んだものである。
すると、たちまち、鬼六の所在を知って、四方からわらわらと部下の捕兵が大勢駈け寄って来た。そして、俊基の姿を見るや口々に、騒めきあった。