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しほんたいへいき

私本太平記

吉川 英治

03 みなかみ帖

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 126,598 字 · 254 页

青空文庫

佐渡へ

扇ヶ谷や大宮の遠くには、はや灯が見える。彼は俄に、駒をいそがしかけた。

「殿っ。……」

すると、物蔭からとつぜん走り出た人影が、その駒の口を抑えたので、駒はおどろいて、発矢と道の小石を蹴ッた。

佐渡へ

どこかでは潮鳴りがする。

さっきからそこの二人は「ここなら人目の惧れもない」と、密語に時も忘れていた。葛原ヶ岡の下で、意外な邂逅を驚き合い、あれから俄に道をかえて来た二人だった。

所は、小壺ノ浦。七里ヶ浜も東で切れた磯山の松風の中。

朽ちはてた“雪見ノ亭”の古縁に、高氏は腰をかけ、旅姿の町人は、地にひざまずいていた。

「右馬介」

と、高氏はなつかしげに、相手の者をそうよんだ。

「……久しいなあ。思い出すぞ、七年前の、ここでの一夜を」

「てまえにとっても、あの夜のことは、終生忘れられませぬ」

「そちは、わしの秘事を、ここで初めて口に出した。――かの鑁阿寺の置文のことまでを」

「殿は、お胸の大事を、この右馬介に知られたりと、お怒りあって、やにわに、てまえを仆して、お撲りなされました」

「きさまも負けずに、わしへ向って、毒づきおった」

「あげくに、殿は勘当すると仰せられ、てまえもわざと、心にもない悪たれを申して、お別れしたのでございました」