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しほんたいへいき

私本太平記

吉川 英治

03 みなかみ帖

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 126,598 字 · 254 页

青空文庫

盛高のことばの裏の意味はすぐ解けた。――首の座を告げているのだ。――せめて一夜は、というからには、処刑は、明日と極ったにちがいない。

都を立った日から、死はいつも、一歩の前と覚悟していた。旅の途中の虐殺さえありがちなのだ。七十余日措かれていたのが、ふしぎな程である。

「仰せにあまえ、今夜はぞんぶん、手足を伸ばして寝ませてもらおう。さらにこの髯が剃れるとは、心うれしい。首となるまでも、穢い髯は落して逝きたいものよと思うていたのだ。ゆらいこの俊基は、公卿のうちでも、ずいぶん洒落者の方でしたからなあ。はははは」

「ところで……」と、盛高はまたも、俊基にとって思いがけない言を付け加えた。

「公ではさらさらないが、夜に入らば、そっとここへ見える客人があるはずです。というて公儀には仔細ないお方だ。ごゆるり名残りを惜しまれるがよい」

誰だろう。晩にここへ名残りを惜しみに来る者とは?

あるじの盛高は、その人間の名は告げずに去ってしまった。俊基も、しいて問おうとはしなかった。何事によれ、彼は未練をきらう風だった。やがて淡々と、明日にせまる死の用意の身清めについていた。