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しほんたいへいき

私本太平記

吉川 英治

03 みなかみ帖

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 126,598 字 · 254 页

青空文庫

酒を呼ぶときのほかは、人を遠ざけ、半夜はまったく軒の月と、ここの二人だけだった。

さりとて高氏は、日野俊基の牢室をここへ訪ねたことを、誰に気がねの風でもない。

あいかわらず、鎌倉府内における彼の“ぶらり駒”は有名で、以後も武者所詰の一員であるほかは、なんの頭角も現わしていない高氏だったが、しかし、前執権(――彼の妻登子の兄北条守時は七月七日退職、新たに北条茂時が執権職につく)の義弟君として、しぜん諸人は彼をもいつか別格においていた。

だから、今日とて、

「あすは断罪の日野殿へ、最後の身清めと一献をゆるし与えるぐらいな寛度は、武士の情けだ。人みな憚っている様子。余人がおいやなら、高氏がしてやろうと存ずる」

と、わざと評定衆のなかで公言しておき、執権へも言っておいた。

執権の座は、かりに今、茂時とされていたが、いぜん高時の側近が、つよく高時を擁してその権をにぎっている。――それに内管領の長崎高資らとの暗闘がもつれて、幕府のうちでも今や、ささえ難い自解の物音を、世上へ隠していたのだった。

で、高氏は例の“ぶらり駒”をこの家へむけて、諏訪盛高にむねを通じ、この会見をとげたわけだが、誰もこれに怪しみを思う者はない。