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しほんたいへいき

私本太平記

吉川 英治

03 みなかみ帖

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 126,598 字 · 254 页

青空文庫

なお、手抗いいたす気か」

「む、無慈悲な」

「なにが無慈悲ぞ。女房を憐れと思うなら、白をきるのはよすがいい。ええい面倒な、四の五をいわせず、引っ縛めろ」

言下に、部下の人数は、おめきかかって、ふたたび雨露次の身を地にねじ伏せた。雨露次はもう手むかいもしなかった。夜は明けて、川ノ辻には毎日の櫓音が、今日も変りなく行き交いしていた。

わずか百余の兵でも、軍が駐まると、幽邃な庭も、一夜に殺伐な辻と変ってしまう。

それも、権威ある寺では、立ち入りなど許さぬが、藤井寺は往年の洪水で荒廃したままだった。本尊の石川観音の御相が、からくも茅葺堂に守られている程度である。――で、昨日から、六波羅兵と放免(密偵)どもの、煮炊きの跡や馬糞やらで、そこは狼藉を極めていた。

「ち、うるさいなあ」

ここの部将らしい虎ヒゲの男だった。一堂の濡れ縁に腰かけて、どなっていた。

「ギャアギャアと、いつまで餓鬼を泣かせておくか。赤子の声などは、変な里心がついていかん。いいかげんにぎ離して、女だけをここへ曳いて来い」

兵の一人が駈けよって、それへ答えた。

「飢もじいせいだそうです。米の粉か葛粉をくれと、女は申しおりますが」