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しほんたいへいき

私本太平記

吉川 英治

03 みなかみ帖

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 126,598 字 · 254 页

青空文庫

「いや、そう聞けば、安堵いたした。……雨露次とやら、あらためて、迎えをよこすぞ。日野朝臣から懇ろなお旨もあること。そち夫婦の身は、散所屋敷に引き取って、不自由なきよう、取りたてて得させる」

豊麻呂は、そういって、まもなく帰った。

「では。……あれは毒薬だったのか」

――豊麻呂が帰ったあと。

「ああ、知らなんだ。神ならぬ身、おめぐみ下すった日野朝臣も知らぬ過ちだったとやら。それが、毒薬とは」

夫婦は、今さらのように、慄然とし、また、ふしぎな命拾いに、驚いた。

もし、あのさい。

雨露次の留守で、卯木が捕吏に拉して行かれなかったら? ……。そして十数日も監禁されたこの災難もなかったとしたら。

疑いもなく、卯木はあれを、貴薬と信じて、飲んでいたにちがいない。

「卯木。これやただ事ではないぞえ。何度も、二人は生き疲れて、あの夜も、いッそ夫婦心中をして果てようか……などと、そなたもわしも、つい死の安けさに引かれていたが」

「死ぬな……と、何かが、私たち夫婦に、こんな驚きを見せるのでございましょうか」

「そうとしか思われぬ。お互いの亡き親たちが、世に意気地のないわしたちを草葉の蔭からお案じて、つよく生きろと、叱っていらっしゃるような気もする」