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しほんたいへいき

私本太平記

吉川 英治

03 みなかみ帖

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 126,598 字 · 254 页

青空文庫

それから数日の後である。

或る夕、妙達が飛んで来た。

そして、観音堂の内のふたりを覗いて、仰山顔に。

「雨露次さん、来ましたぜ」

「えっ、何がです」

「先夜、ここへ来た石川ノ豊麻呂さまがいってたろうが。……いずれ後日、あらためて、迎えをよこすと。その迎えの衆が、散所屋敷から見えたんだよ」

「へえ、私たちを」

「たぶん、おまえ方の着がえだろうよ、衣裳箱やら、馬やら連れて」

「と、とんでもない。断ッて下さい。断って」

雨露次は、顔の色さえ変えて、慌てて言った。

「え、断るって」

妙達は、あきれたように。

「――雨露次さん、よけいなことだが、こんな運を逃がしたら、冥加に尽きはしないかね」

「でも、私たち夫婦には、いっそ今の境遇が、貧しくても、気らくなンでございますよ。しょせん、屋敷仕えなどは、柄でもないし、求めてもおりませんので」

「だがさ、散所屋敷の方では、おまえ方夫婦を、よほど、由緒ある者と、見ているらしいんだ」

「だからなお困ります。妙達さん、何とか、ていよくお詫びして、石川の御家来衆に、帰って貰って下さいまし」

雨露次だけではない、卯木も良人と一しょになって、頑ななほど、固辞するばかりだった。