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どうてい

童貞

豊島 与志雄

「中央公論」1925(大正14)年4月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 6,314 字 · 13 页

青空文庫

「何か嬉しいことでもあるんですか。」

張りつめていた気が弛んで、その拍子に、ふいに、飛び上りたいほど嬉しくなった。

「愉快なことがあるんですよ、お母さん。」

とんとんと歩き廻ってやった。それが自分でも変で、ゆっくり考えなければいけないと思いながら、何にも考えられなかった。計画してたことだけがすらすらと口から出た。

「めっけ物をしたんです。素敵な書物があるんです、古本屋に。……二十円下さい、すぐに……。」

「二十円ですって……。」

「ええ、それは大変安くなってるんです。早く買わないと、他にも買手がついてるんです。是非いる本なんです。」

「そんなに急いだって……。」

「いえ、急ぐんです。……買いたいなあ。」

堪らないような風をして、室の中をとんとんと歩き廻ってやった。

「そんなにほしいものなら、お父さんに話してあげましょう。」

「え、お父さんに……。」

しまった……。父の存在をすっかり無視していたが、丁度父が家にいる日だった。……だが……まあいいや。

やけ糞に落付いてきて、火鉢の側に屈み込んだ。ぼんやりして、淋しかった。

そこへ、父がわざわざ書斎から出て来た。

困った、困った……という気で縮こまっていると、父は仕事疲れらしい伸びをしてから、煙草を吸い初めた。