轻松读懂日语经典作品
ja-reading.com
轻松读懂日语,轻松阅读日语。在线阅读日语经典作品。支持在阅读过程中显示假名、查询生词、翻译句子。
そうし
荘子
岡本 かの子
「三田文学」1935(昭和10)年12月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 12,362 字 · 25 页
この頃、孔子老子の二聖は歿して、約一世紀半ほどの距てはあるがいわゆる「学」と称えられるものは後嗣の学徒によって体系を整えて来はじめ、それと伍して幾つもの学派が並び起った。
孔子の倫理的理想主義を承けて孟子は人間性善説を提掲した。これに対して荀子は人間性悪説を執り法治論社の一派を形造った。墨子の流れを汲む世界的愛他主義が流行るかと思えば一方楊朱の一派は個人主義的享楽主義を高唱した。変ったものには「白馬、馬に非ず」の詞で知られて居る公孫龍一派の詭弁派の擡頭があった。また別に老子の系統をひく列子があった。年代は多少前後するが大体この期間を中心におよそ人間が思いつくありとあらゆる人生に対する考えが衣を調え装いを凝らして世人に見えたのみでなく、義を練り言葉を精しくして互いに争った。時代は七国割拠の乱世である。剣戟は巷に舞っているこの伴奏を受けての思想の力争――七花八裂とも紛飛繚乱とも形容しようもない入りみだれた有様だった。
荘子は若くして孔老二子の学に遊び、その才気をもってその知るところを駆使し学界人なき有様だった。だが、彼は壮年近くなると漸く論争に倦み内省的になり、老子の自然に順って消極に拠る説に多く傾いて来た。