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きくちよしょう
菊千代抄
山本 周五郎
「週刊朝日春季増刊」朝日新聞社、1950(昭和25)年4月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 36,178 字 · 72 页
なにより怖れたことは真実のわかる時である、菊千代の気性でもし自分が女だと知ったら……それは想像するだけでいつも慄然とした。彼女がまだ本当のことを知らないうちに、伴れだして、二人だけで、どこかの山奥へでも隠れよう。そんなことをたびたび思い、まじめに計画をたてたことさえあった。
もちろん実行できることではなかったが、そのうちにあの遠乗りの日が来た。菊千代の着衣の汚れを見て、彼は思わず声をあげた。十七歳になっていた彼は、本能的な直感で、それがなにを意味するかおぼろげにわかった。とうとうその時が来てしまった。彼はこう思って、殆んど絶望にうちのめされたのである。
書院へ呼ばれて菊千代を見たとき、彼はすべてを了解した。自分が秘密を知っていたということを気づかれた、それが菊千代をどのように怒らせたか、彼にははっきりわかったのだ。そしてむしろよろこんで、自分を菊千代の手に任せたのであった。
「――ふしぎに一命をとりとめましてから、私は自分の生涯を賭けて、君を蔭ながらお護り申上げようと存じました。……労咳を病みまして、ひところは医者にもみはなされましたけれども……若君のおしあわせを見届けるまではと、気力をふるい起こし、その一心を支えに此処までお供をしてまいったのです」