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きくづきよ
菊月夜
山本 周五郎
「講談雑誌」博文館 、1944(昭和19)年10月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 16,129 字 · 32 页
聞いているうちに、忠左衛門はさっと蒼くなった。そして、けんめいに威儼を保ちながら「……その御達しは上意によるか、それとも大目附よりのものか」と反問した。「……いずれにもせよかかる重き御達を口上にて承わる例はない、御達状を拝見しよう」
「そのほう老耄したな忠左衛門」信三郎は冷やかに答えた。「口上にて謹慎を申付くるのは大目附の慈悲だ、やがてお墨付の御達状がまいるであろう、そのときは切腹はまぬかれぬぞ、……さよう心得て後事の始末をしておくがよい」
信三郎は座を立った、忠左衛門は眼でそれを見送ったが、その眸には、早くも窮境打開の道を捜す必死のもがきがあらわれていた。玄関へ出るまで、そこにもここにも家士たちの不安そうな顔がみえ、また脅やかすような姿勢が眼についた、信三郎はそれらの者も一人ひとり眺めながら、しずかに式台へとおりた。
忠左衛門の暗躍は、数日つづいた。江戸へも人をやったようである。しかし要所要所にはすでに釘を打ち楔が入れてあった。それが高力系の根を切り糸を断った。つくりあげた状態というものは均衡が破れると崩壊し去る。不動なるべき忠左衛門の頭上に、監察の一撃がうち下ろされたとき、すでに彼を中心とする権勢の座はばらばらになったのだ。