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なおこ
菜穂子
堀 辰雄
楡の家 第一部「物語の女」山本書店、1934(昭和9)年11月<br> 楡の家 第二部「文学界」1941(昭和16)年9月号<br> 菜穂子「中央公論」1941(昭和16)年3月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 88,758 字 · 173 页
七
五月になった。圭介の母からはときどき長い見舞の手紙が来たが、圭介自身は殆ど手紙と云うものをよこした事がなかった。彼女はそれをいかにも圭介らしいと思い、結局その方が彼女にも気儘でよかった。彼女は気分が好くて起床しているような日でも、姑へ返事を書かなければならないときは、いつもわざわざ寝台にはいり、仰向けになって鉛筆で書きにくそうに書いた。それが手紙を書く彼女の気持を佯らせた。若し相手がそんな姑ではなくて、もっと率直な圭介だったら、彼女は彼を苦しめるためにも、自分の感じている今の孤独の中での蘇生の悦びをいつまでも隠し了せてはいられなかっただろう。……
「かわいそうな菜穂子。」それでもときどき彼女はそんな一人で好い気になっているような自分を憐むように独り言をいう事もあった。「お前がそんなにお前のまわりから人々を突き退けて大事そうにかかえ込んでいるお前自身がそんなにお前には好いのか。これこそ自分自身だと信じ込んで、そんなにしてまで守っていたものが、他日気がついて見たら、いつの間にか空虚だったと云うような目になんぞ逢ったりするのではないか……」
彼女はそういう時、そんな不本意な考えから自分を外らせるためには窓の外へ目を持って行きさえすればいい事を知っていた。