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かとにん

過渡人

豊島 与志雄

「帝國文學 第二十二卷第四號」1916(大正5)年4月1日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 20,206 字 · 41 页

青空文庫

そして何時の間にか新らしい習慣が出来てしまった。

「手紙が来てはいないか。」と矢島さんは尋ねた。

「参って居りません。」と常子は答えた。

実際矢島さんの大抵の用件は会社の方で果されるので、住宅の方へ来る手紙の数は非常に少なかった。そしてそれも多くは単なる社交的の挨拶にすぎないものであった。

けれどもある日、矢島さんと常子との間に次のような会話が交わされた。矢島さんは平素着に着換えて紅茶を啜っていた、常子は長火鉢にかかっている鉄瓶のわきにそっと手をかざしていた。

「今日は大変ごゆっくりでございましたね。」

「ああ。ちと手間取った仕事があったものだから。然しもうすっかり済んでしまったよ。」

「それはお宜しゅうございましたね。……実は今日珍らしい人が来まして。」

「誰だい? 珍らしい人というのは。」

「笹尾さん。」

「笹尾が! そしてまた何と云って来たんだい。」

「つまり元通り会社に使って頂きたいというんでした。立派な菓子折なんか下げて……。」

女中が持って来た菓子箱には立派な洋菓子がつまって居た。矢島さんはそれをじっと見ていたが、一つつまんだ。

「いい菓子だ。……笹尾にどうしてこんな余分の金があるのかしら。