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しょくよく

食慾

豊島 与志雄

「中央公論」1935(昭和10)年10月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 9,672 字 · 20 页

青空文庫

……その、異様な匂い、それと恰度同じようなものを、戻って来た「野性の獣」に私は感ずるのでした。

そうした晩には、彼はきまって、よく酒を飲み、よく食べました。酒飲みはあっさりしたものが好きだと聞いていましたし、野口もふだんはそうでしたが、然し右のような時に限って、彼はしつっこいものを好みました。鯉や豚の脂肉や鶏の臓物など、見ただけでもむかむかするようなものを、荒噛みでのみこみ、そしてやたらに杯をあけます。胸まで赤くほてり、手の静脈が太く浮出します。そしてぎらぎらした眼を見据えながら、人間の生活と一般動物の生活とを比較して話し、人間だけが起床就寝を太陽と共にしないことだの、人間の皮膚の薄弱と内臓の虚弱とが正比例することだの、それから、理知、神経、感覚、感情……感情のことまでも彼は論ずるのです。……私達の夫婦生活の最初の日から今日に至るまで、一日一日と、彼の感情は平静にそして鈍重になってきたのを、私はよく知っております。そしてこれから先、更にどうなってゆくことでしょう。理想から現実へ……それは立派な言葉でしょうけれど、また、美しい夢を追払って動物性へ逆行することではありませんでしょうか。