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いさましいはなし

いさましい話

山本 周五郎

「講談雑誌増刊号」博文館、1950(昭和25)年2月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 36,835 字 · 73 页

青空文庫

「――さあ、うろ覚えだからね」

玄一郎はこう云って笛をしまいにかかった。松尾はそこに坐ったまま、黙って動こうともしない。肩をすぼめ、しんとうなだれて、これまでにない思いいるような姿であった。

「湯を浴びたいが支度はいいだろうか」

「はい、わたくしみてまいります」

玄一郎はちょっと眼をみはって、妻のうしろ姿を見送った。まるで人が違ったようである。いつもの驕慢な、冷たい敵意に似たものがどこにもない。寧ろよわよわしく、哀しげなようすにさえみえる。

――なにかあったのだ。

松尾がそのように変ったのはなにか理由がなくてはならない。玄一郎は風呂舎で湯に浸りながら、彼女が明日の決闘を聞いたのだと思った。そのほかに思い当ることはなかった。笛の音の美しさに泣いたと云ったけれども、おそらく今日の集りで決闘の話を聞いて、その感動を抑えられなかったに相違ない。

「――名だけでも妻は妻というわけか」

玄一郎はこう呟いて、風呂舎の暗い壁を見ながら苦笑した。

寝所へはいり、灯を暗くして、夜具の中へ横になってから、およそ半刻あまりすると、さらに思いがけないことが起こった。

うとうととしかかったじぶんであるが、襖のあく音がし、誰かはいって来るので、そっちを見ると松尾だった。