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ちくしょうだに

ちくしょう谷

山本 周五郎

「別冊文藝春秋」1959(昭和34)年4月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 69,788 字 · 138 页

青空文庫

「織部さんの手紙の内容も、話のぐあいでおよそわかりました、しかし、――しかしですね」岡村はむきな口ぶりで云った、「亡くなった織部さんが、いまはその男をゆるしているだろう、という貴方の意見は、誤っているとは思いませんか」

隼人は眼をつむったまま黙っていた。

「それは法というものを嘲弄することになるとは思いませんか」

隼人は静かに頭を左右に振った、「法は最上のものではない、法を完全におこなおうとすれば、この世で罪をまぬがれる者はないだろう、人間はみな大なり小なり罪を犯している、この世にはあらわれずにいる罪が充満しているといってもいいくらいだ」

「それは理屈です」と岡村が云った、「そういう一般論はいいですよ、しかしこれは貴方にとって肉親の問題でしょう、兄上である織部さんを殺し、朝田家に汚名を衣せた卑劣な男を、貴方はゆるしきることができますか、人間が人間をゆるすとか、救うとかいうことには限度がありますよ」

「小池との話を聞いたのなら、覚えている筈だ、おれは兄ならこうするだろうと思うとおりにやるだけだ」隼人は立ちあがりながら云った、「ゆるすということはむずかしいが、もしゆるすとなったら限度はない、――ここまではゆるすが、ここから先はゆるせないということがあれば、それは初めからゆるしてはいないのだ」