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ちくしょうだに
ちくしょう谷
山本 周五郎
「別冊文藝春秋」1959(昭和34)年4月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 69,788 字 · 138 页
とあやはしんけんな顔つきで続けた、「――このまえ貴方に矢を射かけた者があるでしょう、あの右のところに上へ登れる段々があるのです、いちはそこを登っていきました、いちは耳が聞えないからいいけれど、権八に聞きつけられたら危ないでしょ、だからあたし用心して、はだしになって跟けてったんです」
段々を登りきったところは崖の中腹で、道があるわけではないが、岩が棚のように横へ延びている。それを右へ伝ってゆけば、村の入口の標石の脇へ出られる。左は岩のゆき止りで、いつか何者かが隼人を覘ったのは、その岩蔭からであった。
「いちが棚岩へ登ってから、ちょっとまをおいてあたしも登りました」とあやは云った、「するとすぐそこにいちがいたので、もうちょっとでぶっつかりそうになり、あたしはぞっとしながら岩にかじりつきました、――いちの向うに人がいて、いちが鼻声をだしながら、なにか手まねで話しているようです、気づかれなかった、ああよかったと、あたしは暫く息をころしていました、それからもう大丈夫だと思ったので、そろそろと岩角から覗いて見ると、いちの向うにその人が、こっちを向いていたんです」