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アド・バルーン

アド・バルーン

織田 作之助

「新文学」1946(昭和21)年3月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 27,390 字 · 53 页

青空文庫

今想いだしてもなつかしく、また恥しいくらい。

文子は三日いて客といっしょに大阪へ帰った。私は間抜けた顔をして、半月余りそわそわと文子のことを想っていましたが、とうとうたまりかねて大阪へ行きました。そして宗右衛門町の桔梗屋という家に上り、文子を呼んでもらうと、文子は十日ほど前にレコード会社の重役に引かされて東京へ行かはった。レコードに吹きこまはるいうことでっせと言う返辞。私は肝をつぶし、そしてカッとなりましたが、その腹の虫を押えるために飲んだ酒と花代で、私が白浜から持ってきた金はほとんどなくなってしまい、ふらふらと桔梗屋を出たのは、あくる日の黄昏前だった。私は太左衛門橋の欄干に凭れて、道頓堀川の汚い水を眺めているうちに、ふと東京へ行こうと思った。

その時、私には六十三銭しか持ち合せがなかったのです。

十銭白銅六つ。一銭銅貨三つ。それだけを握って、大阪から東京まで線路伝いに歩いて行こうと思ったのでした。思えば正気の沙汰ではない。が、向う見ずはもともと私にとっては生れつきの気性らしかったし、それに、大阪から東京まで何里あるかも判らぬその道も、文子に会いに行くのだと思えば遠い気もしなかった――とはいうものの、せめて汽車賃の算段がついてからという考えも、もちろん泛ばぬこともなかった。