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いちにちいっぴつ

一日一筆

岡本 綺堂

「木太刀」1911(明治44)年12月、1912(明治45)年1月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 3,151 字 · 7 页

青空文庫

私は学校の帰途、その店頭に立って「ああ、欲いなあ」とは思ったが、価を訊くと二円五十銭也。無論、わたしの懐中にはない。しかも私は書物を買うことが好で、「お前は役にも立たぬ書物を無闇に買うので困る」と、毎々両親から叱られている矢先である。この際、五十銭か六十銭ならば知らず、二円五十銭の書物を買って下さいなどといい出しても、お小言を頂戴して空しく引退るに決っている。何とか好智慧はないか知らぬと帰る途次も色々に頭脳を悩ました末に、父に対ってこういう嘘を吐いた。

学校では今月から会話の稽古が始まった。英語の書物を読むには英和の字書で済むが、英語の会話を学ぶには和英の字書がなくてはならぬ。就てはヘボン先生の和英字書を買ってもらいたい。殊に会話受持のチャペルという教師は、非常に点数の辛い人であるから、会話の成績が悪いとあるいは落第するかも知れぬと実事虚事打混ぜて哀訴嘆願に及ぶと、案じるよりも産むが易く、ヘボンの字書なら買ってもいいということになって、すぐに二円五十銭を渡された。父は私の申立を一から十まで信用したかどうか判らないが、とにかくにヘボンの字書ならば買っておいても損はないという料見であったらしい。