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たんげさぜん
丹下左膳
林 不忘
01 乾雲坤竜の巻
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 340,187 字 · 666 页
いささかも自分と、じぶんの職責をゆるがせにできない冷刃のような判別、それをいま忠相はわれとわが身に加えているのだった。
市井匹夫のいのちにかくまでも思いわずらう名奉行の誠心……これこそは人間至美のこころのすがたであると言わねばなるまい。
忠相の忠相、越前の越前たるゆえん、またこれをおいて他になかった。
「これヨ黒! 貴様に弁当を分けてやりおった伊兵衛の仇は、この忠相には、すでに鏡にかけて見るがごとく知れておる。安堵せい。近く白洲に捕縄をまわして見せるが、まず、丸にワの字の極印つき小判が出るまでは当分沈伏沈伏……すべては、その出羽の小判が口をきくであろうからのう――」
と忠相、いま黒犬が走り去ったのも気がつかず、しきりに話しかけているが、何におびえてか黒は、池のかなたの植えこみに駈け入って、火のつくように吠え立てる声。
洗面のしたくでもできてお迎えに来たらしく、はるか庭のむこうを若い侍女が近づいてくるのが見える。
忠相は、侍女の足労をはぶくために、もうさっさとこっちから歩き出していた。
「あの、先生……」
朝日の影が障子に躍りはじめると同時に、いま、大岡様のお座敷を出て来たお艶、泰軒のうしろについて、二人がお庭の池に沿うて植えこみの細道に来た時、こうためらいがちに声をかけたのだった。