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じんせいろんノート

人生論ノート

三木 清

下記以外「文學界」文藝春秋社、1938(昭和13)年6月~1941(昭和16)年10月<br>個性について「哲學研究 第五十二號 第五卷 第七册」京都哲學會、寶文館、1920(大正9)年7月1日<br>後記「人生論ノート」創元社、1941(昭和16)年8月11日<br>旅について 不詳

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 71,023 字 · 143 页

青空文庫

瞑想は多くの場合感傷から出てくる、少くとも感傷を伴い、或いは感傷に変ってゆく。思索する者は感傷の誘惑に負けてはならぬ。

感傷は趣味になることができ、またしばしばそうなっている。感傷はそのように甘味なものであり、誘惑的である。瞑想が趣味になるのは、それが感傷的になるためである。

すべての趣味と同じように、感傷は本質的にはただ過去のものの上にのみ働くのである。それは出来つつあるものに対してでなく出来上ったものに対して働くのである。すべて過ぎ去ったものは感傷的に美しい。感傷的な人間は回顧することを好む。ひとは未来について感傷することができぬ。少くとも感傷の対象であるような未来は真の未来ではない。

感傷は制作的でなくて鑑賞的である。しかし私は感傷によって何を鑑賞するのであろうか。物の中に入らないで私は物を鑑賞し得るであろうか。感傷において私は物を味っているのでなく自分自身を味っているのである。いな、正確にいうと、私は自分自身を味っているのでさえなく、ただ感傷そのものを味っているのである。

感傷は主観主義である。青年が感傷的であるのはこの時代が主観的な時期であるためである。