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じんせいろんノート
人生論ノート
三木 清
下記以外「文學界」文藝春秋社、1938(昭和13)年6月~1941(昭和16)年10月<br>個性について「哲學研究 第五十二號 第五卷 第七册」京都哲學會、寶文館、1920(大正9)年7月1日<br>後記「人生論ノート」創元社、1941(昭和16)年8月11日<br>旅について 不詳
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 71,023 字 · 143 页
仮説について
感傷は私のウィーク・エンドである。
行動的な人間は感傷的でない。思想家は行動人としての如く思索しなければならぬ。勤勉が思想家の徳であるというのは、彼が感傷的になる誘惑の多いためである。
あらゆる物が流転するのを見て感傷的になるのは、物を捉えてその中に入ることのできぬ自己を感じるためである。自己もまた流転の中にあるのを知るとき、私は単なる感傷に止まり得るであろうか。
感傷には常に何等かの虚栄がある。
仮説について
思想が何であるかは、これを生活に対して考えてみると明瞭になるであろう。生活は事実である、どこまでも経験的なものである。それに対して思想にはつねに仮説的なところがある。仮説的なところのないような思想は思想とはいわれないであろう。思想が純粋に思想としてもっている力は仮説の力である。思想はその仮説の大いさに従って偉大である。もし思想に仮説的なところがないとすれば、如何にしてそれは生活から区別され得るであろうか。考えるということもそれ自身としては明かに我々の生活の一部分であって、これと別のものではない。しかるにそのものがなお生活から区別されるのは、考えるということが本質的には仮説的に考えることであるためである。