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じんせいろんノート

人生論ノート

三木 清

下記以外「文學界」文藝春秋社、1938(昭和13)年6月~1941(昭和16)年10月<br>個性について「哲學研究 第五十二號 第五卷 第七册」京都哲學會、寶文館、1920(大正9)年7月1日<br>後記「人生論ノート」創元社、1941(昭和16)年8月11日<br>旅について 不詳

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 71,023 字 · 143 页

青空文庫

憎みの習慣性がその自然性を現わすとすれば、怒の突発性はその精神性を現わしている。怒が突発的なものであるということはその啓示的な深さを語るものでなければならぬ。しかるに憎みが何か深いもののように見えるとすれば、それは憎みが習慣的な永続性をもっているためである。

怒ほど正確な判断を乱すものはないといわれるのは正しいであろう。しかし怒る人間は怒を表わさないで憎んでいる人間よりもつねに恕せらるべきである。

ひとは愛に種類があるという。愛は神の愛(アガペ)、理想に対する愛(プラトン的エロス)、そして肉体的な愛という三つの段階に区別されている。そうであるなら、それに相応して怒にも、神の怒、名誉心からの怒、気分的な怒という三つの種類を区別することができるであろう。怒に段階が考えられるということは怒の深さを示すものである。ところが憎みについては同様の段階を区別し得るであろうか。怒の内面性が理解されねばならぬ。

愛と憎みとをつねに対立的に考えることは機械的に過ぎるといい得るであろう。少くとも神の弁証法は愛と憎みの弁証法でなくて愛と怒の弁証法である。神は憎むことを知らず、怒ることを知っている。