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しょや

初夜

山本 周五郎

「週刊朝日春季増刊号」朝日新聞社、1954(昭和29)年3月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 17,384 字 · 35 页

青空文庫

「一期の大事です、不参すれば臆したといわれますよ」と茂登女は云った、「――桃世さんやあとのことは母が引受けます、支度をしてすぐにいって下さい」

「少し考えてみます」

「考えるとはなにをですか」

「これは一藩の大事で、私一個の名聞とはべつの問題です」と代二郎は云った、「――お願いですから暫く一人にさせて下さい」

茂登女は代二郎の横顔をにらんだ。肥えた多血質の顔が白くなり、その眼は怒りのためにきらきらしていた。彼女は幾たびもなにか云おうとしたが、やがて諦めたように、立って廊下へ出ていった。

「碧山雲層層、――」代二郎は呟いた、「碧色というから遠い山だろう、遠く遠く、重畳と山脈が重なっている、その山脈をめぐって、動かない雲がじっとたなびいている、……悠久といったけしきだ、千年不動というけしき、いまのおれにはこのけしきは苦手だ」

彼は机に左手の肱を突いてゆったりと顎を支え、右手をふところに入れて眼をつむった。遙かに遠く紺青色の山脈と、それをとり巻いて動かないたな雲が眼の裏にうかぶ。無限のように遠く、厳かなほど寂かに、――そこからこちらへ、幾千万里の距離をこちらへ、この国のこの城下町へ、五万二千石の藩政をめぐって、激しく狼火を打ちあげた人々の中へと、彼は自分の意識をひき戻した。