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めいじんじごく

名人地獄

国枝 史郎

「サンデー毎日」1925(大正14)年7月5日~10月25日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 149,286 字 · 301 页

青空文庫

で一閑斎は平八の言葉を、是認せざるを得なかった。

そこへ下男の八蔵が、眼の色を変えて飛んで来た。「旦那様、大変でございますよ。あの綺麗な浪人の内儀が、しごきを梁へ引っかけて、縊れているじゃありませんか」

「おっ、ほんとか、そりゃあ大変だ!」一閑斎は仰天した。

「郡上氏、行ってみましょう」あわてて庭下駄を突っかけた。二人がその家へ行った時には、見物が黒山のようにたかっていた。病みほうけても美しい。油屋お北の死骸は、赤いしごきを首に纏い、なるほど梁から下がっていた。

壁に無数の落書きがあった。「ゆるしてください。恐ろしい」「馬子甚三」「信濃追分」「南無幽霊頓証菩提」「もう、わたしは生きてはいられない」「あの人、あの人、あの人、あの人」

意味のわからない落書きであった。

検死の結果は自害となった。乱心して死んだということになった。ただしどうして乱心したかは、誰も知ることは出来なかった。

「春になると自殺者が多い」平八は憮然として呟いた。

「いい女だったのに惜しいことをした」こういって一閑斎は苦笑したが、「亭主の浪人はどうしたかな?」

その浪人は殺されていた。それの解ったのは翌朝のことで、隅田堤の桜の幹へ、五寸釘の手裏剣で、両眼と咽喉とを縫いつけられていた。