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よっかのあやめ

四日のあやめ

山本 周五郎

「オール読物」文藝春秋新社、1954(昭和29)年7月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 19,200 字 · 38 页

青空文庫

こういう通達で、城代水野治部右衛門はじめ老臣連署のものであった。

使番が去るとすぐに、千世の兄の江木重三郎と、田口藤右衛門が来、ついで浦原彦馬が来た。田口は精明館の司事であり、浦原は(中老五百二十石)千世と主税介との仲人であった。かれらはみな、主税介が決闘に加わらなかったことをよろこび、祝いを述べた。江木重三郎は大洲へ駆けつけたという、騒ぎを聞いたとき「これは五大もいっしょだな」と直感した。てっきり主税介もいると思い、ばあいによっては自分も助勢するつもりで、その支度をしていったところ、もう大目付の人数が出ていて洲の口を止め、中へ入ることができなかったそうである。

「縁者がいる筈だからと云って、私はすっかり終るまで洲の口で見ていた」と重三郎は云った、「決闘は六時ごろに始まったらしい、徒士組が三十余人、馬廻りは二十六七人で、大目付の人数が出張したのは八時ごろだが、死傷者は双方で四十人ちかくあるということだった」

「そこから城中へ伴れてゆかれたのか」と矢部六左衛門が訊いた。

「そうではない」重三郎は首を振った、「死者はその家へ送られたが、負傷者は菅生郭の中の作事小屋へ、そのほかは鈴木殿、高楷殿、大林寺、水野主膳殿の四家に分けて預けられた」