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なつのはな

夏の花・心願の国

原 民喜

原民喜『夏の花・心願の国』。同一底本的分册已合并为一书。收入:夏の花、苦しく美しき夏、秋日記、冬日記、美しき死の岸に、死のなかの風景、火の唇、壊滅の序曲、廃墟から、鎮魂歌、永遠のみどり。

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 152,816 字 · 310 页

青空文庫

庭は真暗に濡れて号泣しているようなのだ。こうした時刻は、しかし彼には前にもどこかで経験したことがあるようにおもえた。郷里から次兄と嫂がやって来たので、狭い家のうちは人の気配で賑っていた。その家の外側を雨は狂ったように降りしきっていた。

二日つづいた雨があがると、郷里の客はそれぞれ帰って行った。義姉だけはまだ逗留していたが、家のうちは急に静かになった。床の間の骨壺のまわりには菊の花がひっそりと匂っている。彼は近いうちに、あの骨壺を持って、汽車に乗り郷里の広島まで行ってくるつもりだった。が、ともかく今はしばらく心を落着けたかった。久し振りに机の前に坐って、書物をひらいてみた。茫然とした頭に、まだ他人の書いた文章を理解する力が残っているかどうか、それを試してみるつもりだった。眼の前に展げているのは、アナトール・フランスの短篇集だった。読んで意味のわからない筈はなかった。だが意味は読むかたわらに消えて行って、それは心のなかに這入って来なかった。今、彼は自分の世界がおそろしく空洞になっているのに気づいた。

久し振りに彼は電車に乗って、東京へ出掛けて行くと、家を出た時から、彼をとりまく世界はぼんやりと魔の影につつまれて回転していた。