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よるのくつ

夜の靴

横光 利一

――木人夜穿靴去、石女暁冠帽帰(指月禅師)

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 107,056 字 · 213 页

青空文庫

そして、がちゃりとアルミの蓋を合せて立ち上ると、またひらりと自転車に乗ってどっかへ去っていく。

十七歳のときここの家から峠を越して海浜の村へ嫁入した老婆、利枝が来て、生家の棟を見上げている。今年七十歳だが、古戦場の残す匂いのような、稀に見る美しい老婆で笑う口もとから洩れる歯が、ある感動を吸いよせ視線をそらすことが出来ない。私はこの老婆の微笑を見ると、ふッと吹かれて飛ぶ塵あとの、あの一点の清潔な明るさを感じる。沖縄戦で末子が潜水艦に乗りくみ戦死したばかりである。もし婦人というものに老醜なく、すべてがこのようになるものなら、人生はしばらく狂言を変えることだろうと思う。そのような顔だ。とにかく、今まで私の一度も見たことのない老婆の種類だ。漁師村の何んでもない、白髪をたばねた、わごわごした腰の、拭き掃除ばかしして来た老婆だのに、――あちらを歩き、こちらを歩きしながら、幼児の思い出を辿る風な面差しで、棟を見上げ見降ろし、倦怠を感じる様子もない。その最後の生の眺めのごとき曲った後姿に、しきりに蝉の声が降って来る。庭の古い石の上を白い蝶の飛びたわむれている午後の日ざし、――昼顔の伸び悪い垣の愁い。