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ゆめはよびかわす
夢は呼び交す
蒲原 有明
――黙子覚書――
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 104,126 字 · 210 页
しかし小供の呼名としてはかえってこの名が呼びよかったので、父親は鶴見の幼年時に、よく正根といって、彼を呼び寄せた。鶴見は後にそれを別号のようにして使うことにしていた。
鶴見の家には古い手文庫が一つあった。工芸品といっても月並の程度は出ていない。塗りにも蒔絵にも格別特色は見られなかった。それでも、昨年静岡の家が焼けるまでは、客間の床脇の違棚に飾ってあって、毎朝布巾で、みずから埃を拭っていた。長年の間、そうやって、彼が手しおにかけていたものである。
その文庫というのは、頃合の手匣で、深さも相応にあり、蓋は中高になっていて柔かい円みがついている。蓋の表面には、少し低めにして、おもいきり大きい銀泥の月が出してある。古くなって手ずれたせいもあろうが、それはほんのりとした夢である。一むらの薄が金線あざやかに、穂先を月のおもてに靡かせる。薄の穂は乱れたままに、蓋から胴の方へ食みだして来る。外は蝋色ぬり、内は梨地である。
匣の中には、父親が若いころ、時の流行にかぶれて道楽にかいた書画に捺した大小の雅印が入れてあった。銅の糸印などもまじっている。蝋石の頭に獅子の鈕みを彫った印材のままのものがある。