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いえ

家

島崎 藤村

01 (上)

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 126,748 字 · 254 页

青空文庫

師はやがて昔の弟子を花畠に近い静かな書斎の方へ導いた。最早入歯をする程の年ではあったが、気象の壮んなことは壮年にも劣らなかった。長い立派な髯は余程白く成りかけていた。この阿爺さんとも言いたいような、親しげな人の顔を眺めて、三吉は意見を聞いてみようとした。他に相談すべき事柄では無いとも思ったが、この先生だけには簡単に話して、どう自分の離縁に就て考えるかを尋ねた。先生は三吉の為に媒妁の労を執ってくれた大島先生のそのまた先生でもある。

雅致のある書斎の壁には、先生が若い時の肖像と、一番最初の細君の肖像とが、額にして並べて掛けてあった。

「そんなことは駄目です」と先生は昔の弟子の話を聴取った後で言った。「我輩のことを考えてみ給え――我輩なぞは、君、三度も家内を貰った……最初の結婚……そういう若い時の記憶は、最早二度とは得られないね。どうしても一番最初に貰った家内が一番良いような気がするね。それを失うほど人間として不幸なことは無い。これはまあ極く正直な御話なんです……」

三吉は黙って先生の話を聞いていた。先生は往時戦争にまで出たことのある大きな手で、種々な手真似をして、