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しょうしょうしげもとのはは
少将滋幹の母
谷崎 潤一郎
「毎日新聞」毎日新聞社、1949(昭和24)年11月16日~1950(昭和25)年2月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 83,234 字 · 160 页
わたくしが死にましたら、あなたはあの文範のものになられますでしょう」と云ったことがあった。文範と云うのは民部卿播磨守で、敦忠の家の家司をしている男だったので、御息所が、「まあ、そんなことがあるものですか」と云われると、「いゝえ、きっとそうなります、私は空から見ておりますよ」と敦忠は云ったが、果してその豫言の通りになった。時平の子たちや孫たちが天神の祟りと云うことを神経に痛んで、始終安き心地もなかったことは、保忠の例を見ても察しられるが、敦忠も亦、自分が到底長生きの出来ない運命を担っていることを知り、ひそかに諦めていたのであった。
前記の御息所の外に、敦忠にはなお数人の思い人があった。今、敦忠集を見ると、その大部分は恋歌であって、中にも斎宮雅子内親王との贈答が多く、此のおん方とは随分長く契り交していたことが想像されるが、後撰集巻十三恋五の部には、宮が斎宮にならせられて伊勢へお下りになった時の敦忠の歌が、次のような詞書と共に載っている。―――
西四条の前斎宮まだみこにものし給ひし時心ざしありて思ふこと侍りける間に、斎宮に走り給ひにければ、その明くる朝に榊の枝につけてさしおかせ侍りける