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しょうしょうしげもとのはは

少将滋幹の母

谷崎 潤一郎

「毎日新聞」毎日新聞社、1949(昭和24)年11月16日~1950(昭和25)年2月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 83,234 字 · 160 页

青空文庫

その八

「すけまさ」と云うのは二男の佐理のことであるが、これはあの行成や道風と並び称せられた能書家の佐理とは違う。敦忠集に依ると、佐理の母は佐理を生んで死去したので、子は小母のところに預けられて、「あづま」と云う幼名で呼ばれていたが、あづまが二つになった時に敦忠がその子を見に行って、たいそう泣いて、下のような歌を詠んだ。―――

むつごともまだいひ出でゞ別れにし

人のかたみはあづまなりけり

此のあづまの佐理が後に出家をしたことは、前に記した通りである。

その八

平中、時平、及びその子孫たちの後日譚はあらまし以上の如くであるが、あの可哀そうな老大納言と、彼が夫人在原氏の腹に儲けた子の滋幹は、その後どうなったことであろうか。

国経には滋幹の外に三人の男子があって、尊卑分脈所載の順序に従えば、長男が滋幹、次男が世光、三男が忠幹、四男が保命となっている。此のうち、忠幹の母は在原氏ではなく、伊豫守未並と云う者の女子としてあって、此の後裔は後まで長くつゞいたらしいが、世光と保命には後がなく、且その母は誰であるとも記してない。しかし滋幹は、あの事件の時に五歳ぐらいであったとすれば、老大納言が七十二三歳頃の子でなければならないが、それ以後国経は八十一歳で死ぬ迄の間に、更に三人もの子を生ませたり、他の婦人と契ったりしたのであろうか。