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あくま

悪魔

小川 未明

「新文藝」1910(明治43)年5月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 7,591 字 · 16 页

青空文庫

今、この苦しみを忘れるものは、青空を見るより他にない。けれどこの身体の例えようなき苦しみが果して、あの青空で慰められるか否か分らない。女はいくたびか立って障子に縋ろうとした。足がふらついて立てなかった。

心で、青空を見た時の心持を想像して見た。白い綿のような軽い雲が黒い重い雲の下を行く。見ていると次第に重い黒い雲が薄くなる。すると二つに裂けて、青い所が現れる。……故郷の、青い波の寄せる小松原を思い出す。松原の端には、二条の鉄道線路が通っている。その線路には踏切番の小舎がある。小舎には爺さんがいて、汽車が通るたびに白い旗を出す。……四辺の景色が目に見えるようだ。

女は、三たび立ち上ろうとして下に倒れた。もはや空想することも出来なくなった。眼が眩んで来た。頭の中が乱れて来た。咽喉が乾いて酸い物を飲みたいと気が焦り出した。障子も見えなくなれば、畳も見えなくなった。四方から、鼠色の壁が倒れかかって自分を圧し潰そうとしているように思われた。もう石炭を投げ入れる音も、機関の呻吟も、青い空も小松原もなにもない、ただ苦しまぎれに室の中を転げ廻った。顔の色は、黒くなって、身体は火の付いたように燃え始めた。