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あるおんな

或る女

有島 武郎

1(前編)

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 149,981 字 · 295 页

青空文庫

驚いてハンケチを袂から探り出そうとした時、

「どうかなさいましたか」

という声に驚かされて、葉子は始めて自分のあとに人力車がついて来ていたのに気が付いた。見ると捨て石のある所はもう八九町後ろになっていた。

「鼻血なの」

と応えながら葉子は初めてのようにあたりを見た。そこには紺暖簾を所せまくかけ渡した紙屋の小店があった。葉子は取りあえずそこにはいって、人目を避けながら顔を洗わしてもらおうとした。

四十格好の克明らしい内儀さんがわが事のように金盥に水を移して持って来てくれた。葉子はそれで白粉気のない顔を思う存分に冷やした。そして少し人心地がついたので、帯の間から懐中鏡を取り出して顔を直そうとすると、鏡がいつのまにかま二つに破れていた。先刻けつまずいた拍子に破れたのかしらんと思ってみたが、それくらいで破れるはずはない。怒りに任せて胸がかっとなった時、破れたのだろうか。なんだかそうらしくも思えた。それともあすの船出の不吉を告げる何かの業かもしれない。木村との行く末の破滅を知らせる悪い辻占かもしれない。またそう思うと葉子は襟元に凍った針でも刺されるように、ぞくぞくとわけのわからない身ぶるいをした。