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しんしょたいこうき

新書太閤記

吉川 英治

10 第十分冊

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 176,911 字 · 353 页

青空文庫

聞くまいとしても、目の前で秀吉の口述するのは耳に入る。しかもそれは、毛利の一族、小早川隆景へ返書する大事な外交文書であるらしい。――これにも、数正の常識は、身の措き所を失うてまごついた。

「御公務、急な御様子。ちと退座しておりましょうか」

「いや、要らぬ遠慮。すぐ終るすぐ終る」

秀吉は、意にも何にも介していない。そして縷々と、口述をつづけていた。

返書というのは。

小早川隆景から、このたびの大捷を賀して来た書にたいして、秀吉が、柳ヶ瀬戦況の報に事よせて、この際、毛利家の将来の向背を、しかと、その旗幟に明らかにすべきことを――思いきったことばをもって促している――私信とはいえ、重大な書面なのであった。

秀吉がいうそばから、祐筆が書いてゆく。

祐筆の筆の運びを眺めては、秀吉が口述する。

石川数正は、黙然と、そのそばで、眼を、庭前の叢竹に遊ばせていた。

(――柴田に息つがせては、手間どるべきかと存じ、日本の治、この時に候ふ条、兵をも討死させ候ふても、筑前守の不覚にては有まじと存じ、ふっと思い切、二十四日寅の下刻、本城へ取掛り、午の刻乗入れ、悉く首を刎ね候事)