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かにのかい
日本の怪談(二)
田中 貢太郎
田中貢太郎『日本の怪談(二)』。同一底本的分册已合并为一书。收入:蟹の怪、花の咲く比、不動像の行方、蛇怨、鮭の祟、妖怪記、鍛冶の母、鷲、尼になった老婆、幻術、忘恩、蠅供養、這って来る紐、放生津物語、地獄の使、法衣、餅を喫う、立山の亡者宿、山の怪、山姑の怪。
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 80,664 字 · 171 页
小八は眼を見据えた。少し距離があるうえに微暗いので分明としないが、その姿は女房そっくりであった。小八はもう宿の主翁の戒めも忘れていた。彼は起ちあがって窪地の縁を廻って岩山の腰に走って往った。そして、女房の名を口にしながら女の方へ駈けて往った。
と、そろそろと動いていた女の姿は、急に走るように前の方へ動きだした。小八は狂人のようになって追って往った。彼と女の距離は迫って来た。
小八は女の体を背後から抱き縮めた。女は小八をふり放して逃げようと悶掻いた。小八は動かさなかった。
女にはこの世の人のような柔かな感じがあった。
「どうか見逃しくださいませ、見逃してくださいませ」
と、女はおろおろ声で云って身を悶掻いた。
小八は眼を瞠って額に三角の紙を張った女の横顔を覗き込んだ。
「私が己でしたことでありませんから、どうか見逃してくださいませ」
「……じゃ、お前は亡者でねえのか」
「亡者宿へ売られておる者でございます」
「なあんだ」小八はばかばかしくもあれば忌いましくもあった。「なあんだ」
小八はやっと手を離した。女は額の紙を払い除けて極まり悪そうに小八の方を向いた。夜はもう明け放れて薄すらした霧のようなものが四辺に漂うていた。