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ひがしやまじだいにおけるいちしんしんのせいかつ

東山時代における一縉紳の生活

原 勝郎

「藝文」京都大学文学部、1917(大正6)年8月号~12月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 69,142 字 · 134 页

青空文庫

これによっていくらか家計を補ったことであったろう。永正五年大内義興が義植将軍を奉じて入京し、四位に叙せられた時には、礼のために太刀一腰と二千疋の折紙を持って、わざわざ実隆の邸を訪問した。この時は実隆すでに内大臣を辞した後であるけれども、やはり口入れの労をとったと見える。二千疋の臨時の収入は、意外に感ぜられたと見えて、日記十月一日の条に「いささか屋をうるおす云々」と記している。この大内との縁からして、彼家の重臣である杉二郎左衛門の所望に応じ、三十六歌仙の歌を色紙に認めたり、同じく重臣の陶三郎から、筑前名産の海児二桶をもらったなども、またこのころのことであった。

次に実隆が旅行した話に移ろう。旅行は必ずしも公務ではないが、生活としてはよそ行きの部に属する。前回にもしばしば述べたとおり当時の公卿はしばしば遍歴をやったもので、その主なる動機は生活の困難から来たのであるが、実隆は台所向きずいぶん困難であって、殊に文明十九年ごろは「当年家務の儀毎事期に合わず」と日記に書いているほど難渋したのであったけれど、しかしながら遍歴をしなければ立ち行かぬほどの貧乏でもなかったのであるから、この種の旅行をばやらなかった。