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さくらのみのじゅくするとき
桜の実の熟する時
島崎 藤村
「文章世界」1913(大正2)年1~2月、1914(大正3)年5月~1918(大正7)年6月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 111,569 字 · 222 页
「今日は君も好いところへ来てくれた。操の奴が子供を連れて実家の方へ行ったもんだから、お婆さんと僕とでお留守さ」と青木は捨吉の前に坐って言った。
親類のお婆さんという人はそこへ茶なぞを持運んで来てくれた。
「子供が居ないと、矢張寂しいね」
と、復た青木がそこいらを見廻しながら言った。
心の置けない青年同士の話がそれから始まった。逢う度に青木は自分の有つ世界を捨吉の前に展げて見せた。
「僕はこれで真実に弱い人間だ、小さな虫一つ殺しても気になる」とか、「僕には友達というものは極く少い、しかしそう沢山な友達を欲しいとも思わない」とか、「僕は単なる詩人でありたくない、thinker と呼ばれたい」とか、そういう言葉が雑談の間に混って青木の口から引継ぎ引継ぎ出て来た。沈思そのものとでも言いたいような青木は、まるで考えることを仕事にでもしている人物のように捨吉の眼に映った。
「時に、僕は吉本さんの学校の方へ、教えに行くことに成った――ほんのお手伝いのようなものだがね」
と、捨吉が言出した。
「四月から教えに行く。出来るか出来ないか知らないが、まあ僕もやって見る」
とも附加した。