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さくらのみのじゅくするとき

桜の実の熟する時

島崎 藤村

「文章世界」1913(大正2)年1~2月、1914(大正3)年5月~1918(大正7)年6月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 111,569 字 · 222 页

青空文庫

涼子もそこへ来て、夜の燈影に映る二人の兄さん達の顔と旅に行く捨吉の顔とを見比べていた。

そこいらがシーンとして来た頃、岡見は先ず畳の上に跪いて、

「岸本君のために祈りましょう」

と言出した。清之助も、涼子も、捨吉も、皆なそこへ跪いた。激情に富んだ岡見は熱い別離の祈りを神にささげた。

「主よ。すべてをしろし召す主よ。大なる幸福に先だって大なる艱難と苦痛とを与えたもう主よ。われわれが今送ろうとしている一人の若い友達の前途は、唯あなたがあってそれを知るのみでございます」

こんな風に祈った。清之助もまた静粛な調子で、捨吉のために前途の無事を祈ってくれた。

翌朝早くから捨吉は旅の仕度を始めた。田辺の家を出る時に着て来た羽織を脱いで、麹町の学校の生徒が贈ってくれたという綿入羽織に着替えた。脛には用意して来た脚絆を宛てた。脱いだ羽織、僅かの着替え、本二冊、紙、筆なぞは、涼子から贈られた袋と共に一纏めにして、肩に掛けても持って行かれるほどの風呂敷包とした。岡見兄弟と一緒の朝茶も、着物の下に脚絆を宛てたままで飲んだ。

前途の不安は年の若い捨吉の胸に迫って来た。「お前は気でも狂ったのか」