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さくらのみのじゅくするとき
桜の実の熟する時
島崎 藤村
「文章世界」1913(大正2)年1~2月、1914(大正3)年5月~1918(大正7)年6月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 111,569 字 · 222 页
中央には以前に住んだ人が野菜でも造ったらしい僅かの畠の跡があって、その一部に捨吉は高輪の方から持って来た苺を植えて置いた。同窓の学友で労働会というものへ入って百姓しながら勉強している青年がその苺の種を分けてくれた。それを捨吉は見に行った。
幾株かの苺は素晴らしい勢で四方八方へ蔓を延ばしていた。長い蔓の土に着いた部分は直ぐそこに根を生した。可憐な繁殖はそこでもここでも始っていた。
「ホ。何物もくれなくても可いんだ」
と捨吉は眼を円くして言って見て、青々とした威勢の好い葉、何処まで延びて行くか分らないような蔓の間などに、自分の手を突込むと、そこから言うに言われぬ快感を覚える。手桶に入れて持って来た水を振舞顔に撒いていると、丁度そこへ主人も肥満した胸のあたりを涼しそうにひろげ、蜘蛛の巣の中形のついた軽い浴衣で歩きに来た。
「小父さん、御覧なさい――こんなに苺が殖えましたよ」
と捨吉が声を掛けた。
主人は大人らしい威厳を帯びた容子で捨吉の立っている側を彼方是方と歩いた。どうかすると向うの花畠の隅まで歩いて行って、そこから母屋の方を振返って見て、復た捨吉の方へ戻って来た。