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さくらのみのじゅくするとき
桜の実の熟する時
島崎 藤村
「文章世界」1913(大正2)年1~2月、1914(大正3)年5月~1918(大正7)年6月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 111,569 字 · 222 页
石に腰掛けて甘酒を飲んでいるお店者もあった。柳の並木が茂りつづいている時分のことで、岸から石垣の下の方へ長く垂下った細い条が見える。その条を通して流れて行く薄濁りのした隅田川の水が見える。裸体で小舟に乗って漕ぎ廻る子供もある。彼は胸を突出し深く荒い呼吸をついて、青い柳の葉を心ゆくばかり嗅いだ。
水泳場には捨吉の泳ぎの教師が居た。二夏ばかり通ううちに捨吉も隅田川を泳ぎ越すぐらいは楽に出来たのである。小屋の屋根に上って甲羅を乾すもの、腕組みするもの、寝そべるもの、ぶるぶる震えているもの、高い梯子の上から音をさして水の中へ飛込むもの、そういう若い人達のなかには身体の黒いのを自慢な古顔もあり、漸く渋皮の剥けかかった見知らぬ顔もあった。岸の近くは泳ぎ廻る人達の罵り叫ぶ声や波を蹴る騒がしい音で満たされていた。
勝手を知った捨吉は多勢水泳場の生徒の集っているところで、自分も直ぐに着物を脱ぎ、背の立つ水の中を泳ぎ抜けて、小屋に近く繋いである舟の上へ登った。遠く舟を離れて対岸をめがけて進むものもあった。彼も身を逆さまにして舟から水底の方へ躍り入った。あたかも身を悶かずにはいられないように。