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さくらのみのじゅくするとき

桜の実の熟する時

島崎 藤村

「文章世界」1913(大正2)年1~2月、1914(大正3)年5月~1918(大正7)年6月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 111,569 字 · 222 页

青空文庫

「君が買って来たんか」

と捨吉も笑って、皆と一緒に馳走の菓子を頬張った。

窓の外は運動場に面した廊下で時々そこを通う下の組の生徒もある。するすると柱づたいに上層の廊下の方から降りて来るものも有る。いくらか引込んでいるだけに静かな窓のところへ菅は腰掛けて、

「岸本君、君に見せようと思って持って来たよ」

と風呂敷包の中から一冊の洋書を取出して見せた。

「買ったね」

思わず捨吉は微笑んで嬉しげな友達の顔を見た。ダンテの『神曲』の英訳本だ。捨吉は友達の前でその黒ずんだ緑色の表紙を一緒に眺めて、扉を開けて行くと、『神曲』の第一頁がそこへ出て来た。長い詩の句の古典らしく並んだのが二人の眼を引いた。

「まだ読んで見ないんだが、一寸開けたばかりでも何だか違うような気がするね」と菅は濃い眉を動かして、「多分、君の買ったのと同じだろう」

「表紙の色が違うだけだ」

と捨吉は答えてそれを足立にも見せた。若い額はその本に集った。

他に同級生は居ても、特別の親しみがこの部屋へ来ると捨吉の身に感ぜられる。友達の読む書籍は彼も読み、彼の読む書籍は友達も読んだ。話せば話すほど引出されて行く。