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さくらのみのじゅくするとき
桜の実の熟する時
島崎 藤村
「文章世界」1913(大正2)年1~2月、1914(大正3)年5月~1918(大正7)年6月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 111,569 字 · 222 页
として了った。彼はどういう言葉を用意して行ってお母さんに逢って可いかも解らなかった。
土曜日の午後から、捨吉はお母さんの突然な上京を不思議に考えつつ寄宿舎を出た。秋雨あがりで体操も碌に出来ないような道の悪い学校の運動場を見ると、寒い田舎の方へは早や霜が来るかと思わせた。取りあえず伊皿子坂で馬車に乗って、新橋からは鉄道馬車に乗換えて行った。
田辺の家へ寄って見ると、台所に光る大きな黒竈の銅壺の側で、お婆さんが先ず笑顔を見せた。
「捨さん、お母さんが出ていらしったよ」と姉さんも奥座敷に居てめずらしそうに言った。「長いことそれでも吾家ではお前さんを世話したものだ」と眼で言わせて。
夏の間のような低気圧が田辺の家には感じられなかった。二階に身を寄せていた玉木さん夫婦も、もう見えなかった。姉さんは壮健そうに成ったばかりでなく、晴々とした眼付で玉木さん達の噂をした後に、めったに口にしたことのない仮白なぞを遣うほど機嫌が好かった。
「鹿尾菜と煮染の総菜じゃ、碌な智慧も出めえ――」
姉さんまで小父さんの成田屋張にかぶれて、そんなことを言うように成った。
「捨さん、お前さんは何を愚図々々してるんだねえ。