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えのきものがたり
榎物語
山本 周五郎
「オール読物」文藝春秋新社、1961(昭和36)年9月~10月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 33,519 字 · 67 页
――彼はまっすぐに来て、四間ばかり向うで立停り、さぐるような眼つきで、じっとさわの顔を見まもった。九月にはいって、夕刻になると風はもう肌に寒かったが、彼は木綿縞の色の褪せた半纒に股引、古い草履ばきで、少し背中が跼んでいた。刃物でそいだように頬がこけ、眉毛も白く、眼のおちくぼんだ顔はひどくふけていたが、それでもすぐに、足助だということがさわにはわかった。
「ちょっとものをたずねます」足助はこっちへ呼びかけた、「もしも違ったら勘弁してもらいますが」
「違います」とさわはゆっくりと左右に首を振った、「人違いです」
「やっぱりそうだ」足助は案外しっかりしたあるきぶりでこっちへ来た、「あなたはおさわさん、河見さまのおさわさんだ」
足助は地面へ膝を突いた。おちくぼんだ眼が涙でいっぱいになり、それが痩せて皺だらけな頬を伝ってこぼれ落ちた。ごまかすことはできない、とさわは直感した。足助は手の甲で涙をぬぐいながら、よく生きていてくれたとさわに云い、自分の助かったもようを語った。さわを救おうとしてはなればなれになった彼は、やはり山津波に押し流され、小出のずっと下流で助けられた。