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もみノきはのこった
樅ノ木は残った
山本 周五郎
03 第三部
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 167,285 字 · 330 页
と訊いたが、丹三郎にはなにも話しかけなかった。
けれども、丹三郎は聞いていた。口には出さないが、心のなかで、甲斐が自分に話しかけているのを、殆んどその一語一語を、聞くように感じられた。
十時ころに酒宴が終ると、甲斐はおくみに「寝間へ伴れていってやろう」と云って立ちあがった。おくみは甲斐といっしょに、座敷を出てゆきながら、自分の寝間はよごれているから、あなたのお部屋のほうへ支度をさせよう、と云った。
「三日ばかり風呂を使いませんから、おいやかもしれないけれど、おそばに寝かして頂くだけですから、いいでしょ」
「今夜はだめだ」
「どうしてですの、ただおそばで寝かして頂くだけよ」
「今夜はいけない」と甲斐が云った、「丹三郎と話したいことがある、二人だけで、一と晩、いてやりたいんだ」
「つまらないこと、せっかく久しぶりでお会いしたのに」
「からだが悪いんだろう」
「病気じゃあないんです」
「顔色もよくないし、痩せたようだぞ」
おくみはそうかしらと云い、寝間へはいると、襖を閉めるなり、立ったままで、甲斐にそっと抱きついた。甲斐はおくみの背に手をまわした。おくみは甲斐の胸に凭れ、片手で彼の着物の衿をつかんだ。