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もみノきはのこった
樅ノ木は残った
山本 周五郎
03 第三部
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 167,285 字 · 330 页
肌の香はあまやかで、そしてほのかに刺戟的だった。
甲斐の眉が僅かに歪んだ。はっきりした理由はないが、そのほのかに刺戟的な肌の香は、宇乃のからだの成長をあかしている。少女から乙女に、そうしてやがて、女にと成熟してゆくかなしさ。よろこびであると共に、女性であることの宿命的なかなしさといったものが、漠然と、けれどもおもくるしく、感じられたのであった。
「おじさま」と宇乃が訊いた、「お釣りになった魚を、どうして逃がしてしまいますの」
「あれは鮠だからだ」
「鮠ではいけませんの」
「宇乃は寒くないか」と甲斐が振向いた。宇乃は微笑しながら、いいえとかぶりを振った。
「私は鯉を釣りたいんだ」と甲斐が云った。
「鯉でなくてはいけませんの」
「釣るならばね」と甲斐が云った。
それから暫く沈黙が続き、甲斐は竿をあげて、餌を替えた。
「ここはなつかしい場所だ」と糸を投げてから甲斐が云った、「子供のじぶん、仙台へ来ると、この河原でずいぶん遊んだものだ、そのじぶんは、まだあの崖に段々がなくて、御裁許役所の向うからおりなければならなかった」
「泳ぎもなさいまして」
「泳ぎもした、向うの、あの瀬のあたりでね」